付記・私の歴

🐤ひよこ期

絵ばっかり描いていた幼少期、小中高校時代を経て美術短大を出た私は、洋菓子会社にデザイナーとして就職しました。お菓子のパッケージデザインや店頭POPのデザイン、ディスプレイなど、商品開発から販売促進まで様々なお仕事を経験させていただきました。デザイン業務以外にも販売の応援、菓子製造の応援、お菓子の嗜好調査、工場見学に来た小学生の案内もしましたネ。先輩たちとの世間話は、社会を知らない私にとっては学びで、面白い職場でした。

当時の制作ですが、デジタルがまだ使われてない時代でしたので、写植を貼って面相筆でトンボを入れて版下を作っていました。パッケージのモック(完成見本)制作や店舗模型の制作では、立体の角をピタッと合わせるカッティングの技もご指導いただきました。看板の文字をカッティングシートで作ったり、渋紙でウエディングケーキの名前型を切るなど、カッターナイフを使う機会が多い職場だったと思います。エアブラシ画の制作で、マスキングフィルム1枚だけ切ってその下の紙は切らないという技も、この頃に学んだのかも知れません。

 

🎨がむしゃら期

その後、イラストレーターとして独立しました。イラストをマネージメントをする会社を通じて、多くの企業様に広告などで多種多様な絵を描かせていただきました。お仕事は頼まれたら何でも受けました。子供達に絵を教える塾の講師や、チャリティイベントでの似顔絵描きもしました。描く経験を積む一方で、口契約の怖さも体験したり、商取引についても学べた時期だったと思います。

絵の仕事は割と順調だったのですが、20代の後半の私の生活は波乱続きでした。振り回されて糸が切れて、若干ダーティな気持ちだったかなぁ。そんな私が本屋さんで出会ったのが「詩とメルヘン」でした。私の心は惹きつけられました。「そうだよ」と気持ちを代弁してくれるような素敵な本でした。自分はこの誌面で、自分の思いを絵に描きたいと心から思いました。そして「詩とメルヘン」のイラストコンテストに応募を始めました。

 

💫詩とメルヘン期

「詩とメルヘン」は、やなせたかし先生が編集なさった雑誌ですが、挿絵には技術と抒情表現を強く求められました。私はなかなか描けず、描いて落選、変えて落選、壊してまた創って・・・入選までに5年間ほど要しました。このコンテストは、入選して年間の受賞者になって初めて誌面デビューできるというハードルの高いものでしたが、自分を信じて挑戦し続けて良かったです。夢は叶いました。受賞後は数々の挿絵を描かせていただきました。また、やなせたかし先生のお誕生日会などでの作家さん達との交流もあり、とても楽しい年月でした。やなせ先生が去り、魔法が解けたように現実に戻りましたが、やなせ先生から伝えていただいた抒情を描く感覚は、今後も育てていきたいと思っています。

 

🐓子育て期

女性の人生で出産は大きな岐路です。私の場合、お仕事が波に乗ってニューヨークの展覧会に入選したり日本のイラスト誌にも入選した時期と、乳幼児の育児の時期が重なりました。どこのお母さんも悩みは一緒だと思いますが、私もワークライフバランスに悩みました。結論、私は第一に母であり第二にその自分を壊さないために、お仕事を減らしました。絵のキャリアはスローダウンしましたが、子育て期にしか経験できないことを優先したことで得たものは多かったです。私は子供達が過ごす学校を知るために、まずはPTA活動に参加して広報部に所属しました。プロの新聞記者から紙面作りの講習を受けて、仲間と一緒に取材して話し合い、学校内だけでなく学校の外で頑張る生徒の情報も載せたりして、保護者が関心を寄せる広報を仲間と一緒に作り込みました。デジタル編集でのタイムリーな紙面作りや、伝え方の切磋琢磨は、クリエイターとしても良い学びになりました。広報紙コンクールの授賞式で大勢の前で挨拶をしたのも良い思い出です。プライスレスな経験ができた11年間でした。

 

☺️現在

最近はエアブラシ画の制作はお休み状態ですが、デジタル制作でも抒情を大事に表現を進めています。また、私は高島屋のマスコット人形「ローズちゃん」を線画で描く専任者でもあるので、少ない線で意図を伝える訓練も必要だと思い、人を描く制作も始めました。

絵の描き方は変わっても、一貫して「心」をテーマにしてきたと思いますし、それは今後も変わらないと思います。引き続きヨロシクお願いします♪


好きな言葉「心に従え」

 

梅川紀美子